Friday, January 30, 2009
Trenkic (2007)
Trenkic, D. (2007). Variability in second language article production: Beyond the representational deficit vs. processing constraints debate. Second Language Research, 23, 289-327.
第二(L2)言語学習者にとって最後まで困難なのが、形態素の正確な使用です。日本人英語学習者の場合は、たとえば3単現の -s を常に正確に使うのはなかなか克服できない課題と言えます。冠詞の the/a もそんなやっかいものの形態素ですが、今日紹介する Trenkic の論文は、日本人にとってなぜ冠詞の使用が難しいのかについてなかなか興味深い仮説を見せてくれます。
タイトルからも推測できますが、この論文は、リサーチノートでもよく紹介している、Missing Surface Inflection Hypothesis (MSIH) と Impaired Representation Hypothesis (IRH または Reporentational Deficit Hypothesis: RDH) という2つの競合する主張に関する研究です。最近では MSIH の方が多少優位に議論を進めているという印象もありますが、Trenkic は”it [MSIH] is inherently post hoc.” (p. 291) と主張していて、言語処理の負荷がかかると形態素の誤用(正確には付けそこない)が起きると説明するものの、具体的にどのような状況でそういった誤用が起こるのかについて予測(predict)はできないと述べています。
MSIH のこの弱点を補おうとする研究に Goad & White (2004) の Prosodic Transfer Hypothesis (PTH) があります。ごく簡単に説明すると、学習者の母語(L1)にない音韻(プロソディ)パターンが L2 に出てくる時、うまく発音ができないために形態素が欠落するといった主張です。具体的には、トルコ語母語話者が英語を学習する場合、冠詞の使用において、「冠詞+名詞」という組み合わせは母語のプロソディ的にも問題ないものの、「冠詞+形容詞+名詞」とうい組み合わせの場合、英語でこれを発音する場合のプロソディ・パターンが母語のトルコ語に存在しないため、冠詞の欠落が(より)多く見られると Goad & White は主張しました。SD という仮名の学習者の英語発話データを分析した結果、上記の予測通りの結果が見られたというのが Goad & White の研究です。
Trenkic は Goad & White の研究に異議を唱えます。セルビア語母語話者の英語学習者を対象にしたこの研究での具体的な反論は次の2点。(その前に確認すべきことは、トルコ語もセルビア語も英語の the/a のように文法的な冠詞体系を持ちません。)まず、セルビア語のプロソディ・パターンを分析すると、英語の「冠詞+名詞」と「冠詞+形容詞+名詞」の両方とも対応するものが存在するため、セルビア語母語話者ならばトルコ語母語話者のように「冠詞+形容詞+名詞」という組み合わせの発話は問題なくできるはずと言います。もう1点は、ライティングのタスクでは、そもそも音韻は関係ないために、「冠詞+形容詞+名詞」の組み合わせも問題なく表出できるはずという内容。
Trenkic は、セルビア語母語話者12名を対象に、スピーキング(ペアで行ういわゆるインフォメーション・ギャップ的タスク)とライティング(セルビア語から英語への翻訳)の2つのタスクを実施し、表出中の冠詞の使用を分析しました。結果を簡単にまとめると、両方のタスクにおいて、「冠詞+名詞」よりも「冠詞+形容詞+名詞」のパターンの方が冠詞の欠落が多く見られました。これは、上記の2点において PTH を反証する結果であり、冠詞の欠落には音韻的な要因以外に何か原因があるはずだということになります。
プロソディが原因でないとすると、なぜトルコ語母語話者やセルビア語母語話者にとって、「冠詞+形容詞+名詞」というパターンで冠詞の欠落がより多く見られるのでしょうか。Trenkic の提案する原因は次の通りです。まず、トルコ語、セルビア語ともに文法的な冠詞体系が存在しません。言い換えれば、冠詞の関わる機能範疇(DP)が存在しないことになります。ところが、冠詞の持つ「ある限定されたものを指す」という意味を表す表現は、セルビア語にもトルコ語にも存在するようです。ただしそれは、英語の a/the のように、純粋に文法的に限定性を表すものではなく、どちらかというと形容詞のような機能を持っています(たとえば英語の this や that は、名詞の指す内容をある程度限定する働きがありますが、文法的には冠詞ではなく形容詞として機能します)。そこでトルコ語やセルビア語の母語話者は、英語を聞いたり読んだりする中で、the や a というのは、this や that (やそれぞれの母語で似たような意味を持つ語)のように、形容詞の一種なんだと誤って分析してしまっているのではないかというわけです。この仮説が正しければ、学習者の頭の中には冠詞の体系や DP という機能範疇は存在しないままであることになり、これは、機能範疇等のすべての統語知識に欠落はないとする MSIH の主張と大きく異なります。さらに Trenkic は、the や a が形容詞として使われるため、統語的な規則ではなく意味(語用論)的な必要性に応じて使われたり使われなかったりするのだとしています。具体的な例として、テーブルの上に緑色と赤色のマグカップが置いてあるとき、そのどちらかを取ってほしいと頼む時に英語で何と言うか考えてみましょう。次の3つの文を見てください:
a. Pass me the red mug.
b. *Pass me red mug.
c. Pass me the mug.
(a) の文が言えればそれが一番正しいわけですが、これは「冠詞+形容詞+名詞」のパターンです。Trenkic の主張が正しいとすると、(2つのマグのうちどちらか一方であると対象を限定する意味の)the という(学習者の分析では)形容詞と、(色を示す)red という形容詞の2つが名詞を修飾するため、両方を付けようと思うと言語処理の負荷が高くなります。そこで、両方を付けるのが難しいとなったときに、どちらか1つの形容詞を省略するとします。それが (b) と (c) の可能性です。(b) は、英語の規則的には冠詞がないために誤りとなりますが、the も red も両方が形容詞である(つまりどちらかが欠けても文法的には問題ない)と認識されている場合には問題なしと解釈できます。意味を考えても、この文を聞けば緑ではなく赤いマグを正しく手にすることができるでしょう。一方 (c) は、英語の文法的には正しいわけですが、これを聞いた人は緑と赤のどちらのマグを指しているのか理解できません。
このように、the/a が形容詞であると分析してしまうと、「the/a +形容詞+名詞」の組み合わせのとき、意味的により重要な形容詞の方が残って、the/a が省略されるということが考えられます。これがまさに上記の実験結果とマッチするというのが Trenkic の主張です。最後に、以上をまとめた部分を引用します:
L2ers whose L1s do not grammaticalize definiteness analyse English articles as nominal modifiers [i.e. adjectives], and treat them in production as such. This means that their article production is lexically based (articles are treated as lexical words) and pragmatically motivated (i.e. motivated by the perceived need to express the meaning they encode for the learner. Whether they will appear in production critically depends on whether the need for expressing the iedntifiability of the referent has been registered at conceptual level, the level that is open to general cognition and so dependent on working memory constraints. It will happen only if there are still some resources available after more relevant aspects of meaning have been attended to. If, however, attentional resources have been exhausted by other demands of production, articles will not be produced. (pp. 315-316)
読んでいてとてもすっきりする論文でした。論理展開も明快で、説明もわかりやすく、なにより Trenkic の主張する内容(上記引用部分)に納得がいくというか、英語のL2学習者としての自分の intuition とも合致する感じです。日本語もトルコ語やセルビア語同様冠詞がありません。日本語に DP があるかどうかについては意見が分かれているようですが、a や the を冠詞ではなく形容詞として扱い、統語的ではなく意味的に処理しているというのは、十分あり得るように思えます。実は日本人英語学習者も PTH に反するパターンの冠詞の誤用を見せるという Neil Snape の研究もあり、PTH の立場はちょっと苦しいかなという印象です。あとは Trenkic の主張が今後 SLA 研究者の間でどのように扱われていくのか、興味深いです。
Trenkic の仮説は、冠詞だけでなく他の形態素使用にも当てはめることができるかもしれません。その辺についてももう少し考えてみたいと思います。

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