研究と実践のはざまで:英語教育研究者のジレンマ

(2012.03.15. 21:45 追記)このエントリーに出てくる HELES の講演資料はこちらをご覧ください。

久しぶりの投稿です。このエントリは半年ほど前に途中まで書いたものに、最近になって手を加えたものです。もう何年もの間悩み続けていることですし、HELESの講演でもこの件で少しだけコメントさせてもらったので、補足の意味も込めて自分の考えというか立場を表明しておこうと思い書きました。

昨年10月1日に開催された北海道英語教育学会(HELES)の年次大会で講演を依頼され、その準備をする中で僕が日頃抱えている悩み(というと大げさか)をあらためて直視せざるを得ない状況になり、考えというか願いというか、頭の中でモヤモヤしているものを整理する意味も込めて書き綴ります。

僕の身分は大学教員なので、「研究者」としての自分の立場を意識し、論文を読んだり、時には実験やデータ収集を行ったり、その結果を学会で発表したり、論文にまとめたりもします。その一方で、大学教員の給料の主な出どころは学生さんたちの授業料なわけで、「教員」としての責任も感じながら日々働いています。実際自分の労働時間の多くは、授業とその準備、それに学内の種々の業務に費やされるため、「教員」としての仕事が「研究者」としての仕事よりかなり多くなってしまうことに多少の焦りも感じていますが、それは別のはなし。

さて本題です。HELESの講演では、「現場の先生方が多く参加されるので、実践的な話をお願いします」といった依頼を受けました。言わんとすることはよくわかりますが、実に悩ましいことでもあります。僕は一教員として日々英語教育の実践に励んでいますから、授業で取り入れているアクティビティや様々な工夫についていくらでも話すことはできますが、それはあくまで一教員としての自分の経験談であり、研究者としての話とは言えません。まして僕の主戦場は大学ですから、中学校や高校の英語の先生方とは教育実践の環境も制約も異なります。

そもそも僕が講演に呼ばれたのは、英語教員としての実践が評価されてのことではないわけで、そういう意味でも「研究者」としての立場でお話しさせていただくのが筋と言えます。そうすると話の抽象度は高くなり、「実践的」というより「理論的」な内容が中心になります。むしろ僕は、現場の教員の方々にこそ学会のような場所では抽象的で理論的な話を聞いていただきたいと考えているのでそれで全然構いませんが、聞いている方々に「実践的でない=役に立たない」話と考えられてしまうととても残念なので、どのような形でメッセージを送るかについてあれこれ考えました。

英語教育研究者の中には、率先して(小)中高の現場に入り、教育方法について具体的な提案をされる方も多く、それはそれで大切なことだと思います。ただちょっと気がかりなのは、そのような提案の多くが必ずしも「研究」(何をもって研究とするかという話はちょっと置いておきます)に基づいていないという点です。「正しい」提案が多いと信じたいですが、中には誤った提案だってあるでしょう。僕が問題だと思っているのは、研究に基づかない提案がたくさん出されている現状では、何が正しくて何が正しくないのかを簡単には区別できないということです。「わたしのウン十年の経験上これは正しい」と主張することは可能ですが、その根拠は言ってみればひとりの経験談に過ぎないわけです。研究者として発言するからには、その内容は当該研究分野においてある程度コンセンサスを得られた考えに基づいているべきですし、別な言い方をすれば、研究者の発言内容にはなんらかの根拠があることを示すことができないといけないと僕は考えています。現場に根ざした具体的な提案については、主に大学で働いている研究者がするよりも、現場での経験が豊富なベテラン教員にお願いした方が自然なわけで、研究者の発言は研究に基づいているからこそ価値があると思うのです。

英語教育研究という分野は残念ながらまだまだ未成熟で、わかっていることよりもわかっていないことの方が多いのもまた事実です。だからといって、これまで何十年かの間に積み重ねられてきた数多くの研究成果を半ば無視する形で、経験と直感のみを根拠に一人一人の研究者が異なる(そして時に互いに矛盾する)主張を行うのは好ましくないと考えています。英語教育研究者としての僕たちの役割は、これまでに行われた研究からわかっていることを、現場での先生方にわかりやすい形で伝えることで、それを具体的に現場にどう反映していくかについては、当事者である現場の先生方にある程度委ねるべきだと思います。そのためにも、僕たち英語教育研究者は相反する提案をすることが少なくなるよう努力しなければならないし、そういった矛盾のあるなしをある程度チェックするのが英語教育系学会の役割でもあると考えています。

このエントリーは、何を教えるかという教育内容論よりはどうやって教えるかという方法論を念頭に置いて書きました。多少刺激的な書き方をしてしまいましたが、特定の個人を批判するといった意図は全くありません。